活動レポート
第603回 実地医家のための会 例会報告
第603回実地医家のための会例会が下記のように開催されましたので、その内容を報告します。
会は二部構成で、第一部は「じっくり考えてみよう、健康と貧困 健康の社会的決定要因(SDH)の視点で提供する全人的医療」のタイトルで、順天堂大学医学教育学教授の武田裕子先生からSDH一般についての御講演を頂き、第二部は「健康への社会的な障壁がある方々への全人的医療: 実地医家にこそできること」のタイトルのグループ討論で、入退院を繰り返す糖尿病患者のケースについて、社会的背景へのアプローチ方法を考えた。
SDHはsocial determinant of healthの略であり、「健康の社会的決定要因」と訳される。武田先生は日本プライマリ・ケア連合学会のSDH検討委員会の委員長であり、医学教育の領域でも、この概念の普及と、社会的な取組を進めていらっしゃる。
講演の初めには、まず、当会の創設者である永井友二郎先生の「実地医家は人間を部分としてではなく全体として、生物としてではなく社会生活をいとなむ人間としてみてゆかなければならない」という言葉を紹介され、実地医家は基本的に患者の社会生活背景に目を向ける必要があることを強調された。
ついで自己紹介をして頂いた。筑波大学を卒業し大学院博士課程修了後、米国のベス・イスラエル病院で内科プライマリ・ケア研修され、1994年からは筑波大に戻り、2000年から琉球大学に赴任され、初めて地域医療にかかわることとなった。2005年に東大医学教育国際協力研究センターに赴任され、この時期アフガニスタンのカブール医科大との国際協力も経験をされた。2007からは三重大地域医療学講座に赴任、紀南地方で地域の人と一緒に医療を考えていくお仕事をされ、2010年からロンドン大学熱帯医学大学院に入り、ここでSDHという概念と出会うこととなった。キングス・カレッジ医学部で2013年まで研究員として過ごされ、米国のベス・イスラエル病院での1年のフェローシップを経て、2014年から現職場の順天堂大学に赴任されている。
まず、WHO(世界保健機構)の「健康とは、身体的精神的社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病のない状態や病弱でないことではない(1948年)」という言葉を引用され、武田先生御自身がこれを初めて見た時には「禅問答みたい」と感じて実感としてよくわからなかったとのことだが、この「社会的」という部分がいかに重要であるかを、英国の地下鉄の路線であるJubilee Lineの例で分かりやすく説明された。貧困地区に1駅近づくごとに、住民の平均余命が1年ずつ短くなるという。そこに住む人々をめぐる社会的な状況に命が規定されてしまうという例である。それ以外にも、所得格差と健康指標・社会問題の相関図や、GDPと平均余命の国際比較など、健康と経済格差についてのわかりやすい表をいくつか例示された。
ここで会場の出席者に武田先生より質問があった。SDHについて、「聞いたことがない」人は会場にはいなかったが、参加者の8割ほどが「聞いたことがあるがあまりよくわからない」ということだった。武田先生はSDHを、「個人に起因しない構造的な問題」と言い換えているとのこと。病気になるのは自己責任と捉えられがちであるが、英国ではsocial prescribing(社会的処方)がNHS(国営医療制度)のなかでシステム化されているという。患者の病気の背景に社会的な問題があると感じられると、「リンクワーカー」に医療者からの依頼が伝えられる。リンクワーカーは患者の状況をつぶさに把握して、例えば、孤立している患者に地域で行われている趣味や運動のグループを紹介したり、場合によっては就労支援や法律相談の機会を提供するなど、ニーズに応じて社会的資源を活用する体制ができている。また、英国ではヘルス・プロモーションも医師の重要な役割と位置付けられており、英国の大学院で学んだ際に「政治家に働きかける『ロビイング』も重要なヘルス・プロモーション」と教えられて驚いたとのことである。
足立区の小学生と保護者を対象に実施された調査例の紹介もあった。「麻しん・風しん混合ワクチン(自己負担なし)未接種の子どもの割合」「逆境を乗り越える力が低い子どもの割合」は、保護者が困窮していて相談相手がいないと最も高くなるが、困窮していても相談相手がいると、困窮していないけれど相談相手がいない保護者の子どもよりも、その割合は低くなるという調査結果が示された。高齢者を対象にしているわけではないが、このような視点での地域ケアをこそ地域包括ケアと言っていいだろう。
医学教育の観点からは、医師に求められる様々な役割/能力(competency)をまとめたカナダのCanMEDS Rolesというフレームワークについて触れられた。この枠組みは世界各国の100を超える医学会で医療人育成に用いられている。この中には、コミュニケーターとしての能力、コラボレーターとしての能力と並び、ヘルス・アドボカシーという役割を医師が担うべきと明示されている。「アドボカシー」とは、「本来備わっているはずの権利が行使されない状況にあるときに、その人の代弁者となってその権利を擁護し、実現を支援すること」を意味する。公衆衛生の教科書でしばしば見る図として、川の上流から溺れた人が次々と流れてくるときに、一人ずつ川から引っ張り出していくら助けても根本的な解決にはならず、原因を追究しに上流に行かなくてはならないというものがある。これは医師のみならず、他の職種にも求められる例として、作業療法士の仕事について説明された。
社会的なリソースがあるのに、障害があるがゆえに利用できない、アプローチできないという場合、これは「社会的排除」の状態であり、「作業的公正性 occupational justiceが損なわれた」状態と考えられる。作業療法士は「作業を利用し環境に働きかける」のがその主要な職務であり、障害は個人の障害でなく社会が作っているもの(「社会モデル」)という立場で環境に働きかけていく、アドボケイトしていく必要がある。
ヘルス・アドボカシーの例としては、このほか、2018年に日本プライマリ・ケア連合学会が「健康格差に対する見解と行動指針」を発表した例も挙げられた。また、過去20年で2倍以上に増加した在留外国人の健康格差についても説明がなされた。今や日本に住む40~50人に一人が外国人であり、今後さらに増加していくことが見込まれるが、言葉の壁が医療へのアクセスを困難にし、健康格差を生み出している。彼らにとって言語の壁は大きいが、外国人だからと言って必ずしも英語が話せる訳でもない。武田先生のグループは、そうした外国人にわかりやすい「やさしい日本語」を普及する取り組みをされている。
また、LGBTQsと言われる性的マイノリティの人たちも、社会的・法的な制約を受けながら生活し、医療機関へのアクセスにも困難を伴う。性的マイノリティの方々は人口の7.6%程度いるといわれる。決して少なくないこうした方々に配慮できる医療機関が増えていくことが望まれる。レインボーフラッグを施設内に掲示するなど、小さな心遣いから始められる。
荻生田文科相の「身の丈発言」は、教育格差を容認するものとして批判された。新しい大学入試の方法に異議を唱え声を挙げた受験生たちは、大学進学ができる人たちだった。2017年の大学等進学率は、全世帯の73.2%に達する。一方、生活保護世帯の大学等進学率は33.1%、ひとり親家庭の子の大学等進学率は58.5%である。教育格差が問題と言うのであれば、こうした方たちにも目を向けるべきではないだろうか。
経済学者のアマルティア・センは、困窮し切り詰めた生活を強いられている人たちは、「大丈夫ですか?」と尋ねられると「大丈夫です」と答えるという。なぜなら「望むことすらできないものは、ないものとしてふるまうほうが心が安らかになる」からである。このような人たちにいくらニーズ調査をしても、ニーズは現れてこない。イソップ寓話に「酸っぱい葡萄」の話がある。手の届かいない葡萄を、狐が「あれはどうせ酸っぱいからいいんだ」と最初から要らなかったかのようにふるまう話である。エルンストはこれを「適応的選好形成」といった。私たちが出会う患者さんの中には、「助けて」が言えない方たちが大勢おられる。自分は大丈夫だと考え「助け」を必要としていることが分からない、「助け」があることを知らない、「助け」があると知っていても「助けてと言っていい」ことを知らない、「助け」を求めることに対して罪悪感がある、「助け」を求めた結果、人格を否定されるような目に遭い二度と助けを求めまいと決心した人、声を挙げないことで、自らの尊厳を守っている方もおられるだろう。そのような方たちに思いを巡らしてほしい。明らかに困っている状況があるのに助けを求めない、求められないというのは、医療従事者としては理解しにくい。「リテラシーが低い」で済ましてしまうこともあるかもしれないけれども、ぜひ立ち止まって考えてほしい。この「酸っぱい葡萄」のエピソードが、武田先生からの今回の最も大事なtake home messageである。
最後に、順天堂大学の基礎ゼミ体験学習の中で武田先生御自身が実践しておられる活動を御紹介して頂いた。1学年140人中毎年3-6人くらいがこの実習に参加し、同級生にSDHについて伝えるためのビデオ教材を作る課題に取り組む。NPO法人「TENOHASHI」、豊島区こどもWAKUWAKUネットワーク、寿町の「ポーラのクリニック」、さなぎの食堂など、様々なフィールドを与えられた医学生が短時間のビデオリポートで自分の思いや変化を語るのが印象的だった。
第2部 グループ討論「健康への社会的な障壁がある方々への全人的医療: 実地医家にこそできること」
このセッションは、武田先生が3分半ほどのビデオを提示され、それに対して参加者が意見を出し合うディスカッション形式で行われた。
登場人物は3年目の研修医と指導医、それに28歳男性糖尿病患者の「いちろうくん」(職業:大工)で、近くの開業医から「血糖値865、HbA1c14.8」として紹介、入院となり、研修医が担当となった。インスリンを導入し、真面目な療養態度で間もなく退院になったが、外来には受診しなかった。しかし半年後、同じ開業医から「血糖値746、HbA1c 12.8」として紹介され、再び入院になった。そしてやはり退院後外来には通院せず、半年後に3回目の入院。
ここでグループ討論を行った。まず各グループで自己紹介、そして貧困と健康に関しての各自の思いを述べ合った上で、この「いちろうくん」が通院できず何度も入院になる理由について考察して意見を交換した。御自分の勤務地域で生活保護の患者さんが多い状況を語って下さる参加者がおられた。一方、生活保護受給者には粗暴で自助努力をしない人が多く、医師になる以前からかなりひどいケースを見聞きしている、という声も聞かれた。今回の例については、通院できない背景には経済的なものや精神的なものを考えて問診を進める、という意見が多く出た。
そのあと、ビデオの続きが供覧された、指導医から身体・精神・社会モデルを提唱された主治医の研修医が、「いちろうくん」について多職種カンファレンスを開催。医師・看護師・薬剤師・管理栄養士・理学療法士・ソーシャルワーカー・精神専門看護師・医療事務が参加した。「いちろうくん」は糖尿病の母と弟2人の4人家族で、1人で家計を支えていること、収入が不安定で月収20万円程度、その中から母の薬剤費と自分の治療費も出さないといけないこと、仕事の時間が長く、母も食事を作れないので外食するしかない、お金もないし糖尿病は完治する病気でないし、治療を受ける資格がないと思っている、などの情報が得られた。
ここでまたグループ討論を行った。これらの情報からは、精神科受診、医療費の削減のための工夫(ジェネリック医薬品の導入など)、食事の工夫などについて、多職種の知恵を絞って可能なリソースを追求する方針などの意見が出された。また、医療機関によっては無料定額診療事業を行っているので、そのような医療機関と制度について知っておくことも役に立つ、ということも、武田先生から解説があった。
常連参加のベテランの先生からも「知らなかったことがいろいろ学べた」とのお声も聞かれ、日本社会に格差が広がっていると言われて久しいが、今回の話題は時宜を得たものと感じることができた。実地医家の基本として、患者背景に目を向け、そこに潜む問題を解決する努力をする、という姿勢を忘れないようにしたい。
日時 | 令和2年1月12日(日)13時00分~16時10分 |
場所 | 東京医科歯科大学 B棟5階 症例検討室 |
テーマ | 「健康の社会的決定要因(SDH)の視点で提供する全人的医療」 |
司会 | 角泰人先生(石橋クリニック副院長) |
13:00~13:05 | 開会挨拶 世話人代表 石橋幸滋先生 |
13:05~14:35 | 講演「じっくり考えてみよう、健康と貧困 健康の社会的決定要因(SDH)の視点で提供する全人的医療」講師 武田裕子先生(順天堂大学医学教育学教授) |
14:35~14:45 | 休憩 |
14:45~16:05 | グループ討論「健康への社会的な障壁がある方々への全人的医療: 実地医家にこそできること」司会進行 武田裕子先生 |
16:05~16:10 | 閉会挨拶 世話人代表 石橋幸滋先生 |
SDHはsocial determinant of healthの略であり、「健康の社会的決定要因」と訳される。武田先生は日本プライマリ・ケア連合学会のSDH検討委員会の委員長であり、医学教育の領域でも、この概念の普及と、社会的な取組を進めていらっしゃる。
講演の初めには、まず、当会の創設者である永井友二郎先生の「実地医家は人間を部分としてではなく全体として、生物としてではなく社会生活をいとなむ人間としてみてゆかなければならない」という言葉を紹介され、実地医家は基本的に患者の社会生活背景に目を向ける必要があることを強調された。
ついで自己紹介をして頂いた。筑波大学を卒業し大学院博士課程修了後、米国のベス・イスラエル病院で内科プライマリ・ケア研修され、1994年からは筑波大に戻り、2000年から琉球大学に赴任され、初めて地域医療にかかわることとなった。2005年に東大医学教育国際協力研究センターに赴任され、この時期アフガニスタンのカブール医科大との国際協力も経験をされた。2007からは三重大地域医療学講座に赴任、紀南地方で地域の人と一緒に医療を考えていくお仕事をされ、2010年からロンドン大学熱帯医学大学院に入り、ここでSDHという概念と出会うこととなった。キングス・カレッジ医学部で2013年まで研究員として過ごされ、米国のベス・イスラエル病院での1年のフェローシップを経て、2014年から現職場の順天堂大学に赴任されている。
まず、WHO(世界保健機構)の「健康とは、身体的精神的社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病のない状態や病弱でないことではない(1948年)」という言葉を引用され、武田先生御自身がこれを初めて見た時には「禅問答みたい」と感じて実感としてよくわからなかったとのことだが、この「社会的」という部分がいかに重要であるかを、英国の地下鉄の路線であるJubilee Lineの例で分かりやすく説明された。貧困地区に1駅近づくごとに、住民の平均余命が1年ずつ短くなるという。そこに住む人々をめぐる社会的な状況に命が規定されてしまうという例である。それ以外にも、所得格差と健康指標・社会問題の相関図や、GDPと平均余命の国際比較など、健康と経済格差についてのわかりやすい表をいくつか例示された。
ここで会場の出席者に武田先生より質問があった。SDHについて、「聞いたことがない」人は会場にはいなかったが、参加者の8割ほどが「聞いたことがあるがあまりよくわからない」ということだった。武田先生はSDHを、「個人に起因しない構造的な問題」と言い換えているとのこと。病気になるのは自己責任と捉えられがちであるが、英国ではsocial prescribing(社会的処方)がNHS(国営医療制度)のなかでシステム化されているという。患者の病気の背景に社会的な問題があると感じられると、「リンクワーカー」に医療者からの依頼が伝えられる。リンクワーカーは患者の状況をつぶさに把握して、例えば、孤立している患者に地域で行われている趣味や運動のグループを紹介したり、場合によっては就労支援や法律相談の機会を提供するなど、ニーズに応じて社会的資源を活用する体制ができている。また、英国ではヘルス・プロモーションも医師の重要な役割と位置付けられており、英国の大学院で学んだ際に「政治家に働きかける『ロビイング』も重要なヘルス・プロモーション」と教えられて驚いたとのことである。
足立区の小学生と保護者を対象に実施された調査例の紹介もあった。「麻しん・風しん混合ワクチン(自己負担なし)未接種の子どもの割合」「逆境を乗り越える力が低い子どもの割合」は、保護者が困窮していて相談相手がいないと最も高くなるが、困窮していても相談相手がいると、困窮していないけれど相談相手がいない保護者の子どもよりも、その割合は低くなるという調査結果が示された。高齢者を対象にしているわけではないが、このような視点での地域ケアをこそ地域包括ケアと言っていいだろう。
医学教育の観点からは、医師に求められる様々な役割/能力(competency)をまとめたカナダのCanMEDS Rolesというフレームワークについて触れられた。この枠組みは世界各国の100を超える医学会で医療人育成に用いられている。この中には、コミュニケーターとしての能力、コラボレーターとしての能力と並び、ヘルス・アドボカシーという役割を医師が担うべきと明示されている。「アドボカシー」とは、「本来備わっているはずの権利が行使されない状況にあるときに、その人の代弁者となってその権利を擁護し、実現を支援すること」を意味する。公衆衛生の教科書でしばしば見る図として、川の上流から溺れた人が次々と流れてくるときに、一人ずつ川から引っ張り出していくら助けても根本的な解決にはならず、原因を追究しに上流に行かなくてはならないというものがある。これは医師のみならず、他の職種にも求められる例として、作業療法士の仕事について説明された。
社会的なリソースがあるのに、障害があるがゆえに利用できない、アプローチできないという場合、これは「社会的排除」の状態であり、「作業的公正性 occupational justiceが損なわれた」状態と考えられる。作業療法士は「作業を利用し環境に働きかける」のがその主要な職務であり、障害は個人の障害でなく社会が作っているもの(「社会モデル」)という立場で環境に働きかけていく、アドボケイトしていく必要がある。
ヘルス・アドボカシーの例としては、このほか、2018年に日本プライマリ・ケア連合学会が「健康格差に対する見解と行動指針」を発表した例も挙げられた。また、過去20年で2倍以上に増加した在留外国人の健康格差についても説明がなされた。今や日本に住む40~50人に一人が外国人であり、今後さらに増加していくことが見込まれるが、言葉の壁が医療へのアクセスを困難にし、健康格差を生み出している。彼らにとって言語の壁は大きいが、外国人だからと言って必ずしも英語が話せる訳でもない。武田先生のグループは、そうした外国人にわかりやすい「やさしい日本語」を普及する取り組みをされている。
また、LGBTQsと言われる性的マイノリティの人たちも、社会的・法的な制約を受けながら生活し、医療機関へのアクセスにも困難を伴う。性的マイノリティの方々は人口の7.6%程度いるといわれる。決して少なくないこうした方々に配慮できる医療機関が増えていくことが望まれる。レインボーフラッグを施設内に掲示するなど、小さな心遣いから始められる。
荻生田文科相の「身の丈発言」は、教育格差を容認するものとして批判された。新しい大学入試の方法に異議を唱え声を挙げた受験生たちは、大学進学ができる人たちだった。2017年の大学等進学率は、全世帯の73.2%に達する。一方、生活保護世帯の大学等進学率は33.1%、ひとり親家庭の子の大学等進学率は58.5%である。教育格差が問題と言うのであれば、こうした方たちにも目を向けるべきではないだろうか。
経済学者のアマルティア・センは、困窮し切り詰めた生活を強いられている人たちは、「大丈夫ですか?」と尋ねられると「大丈夫です」と答えるという。なぜなら「望むことすらできないものは、ないものとしてふるまうほうが心が安らかになる」からである。このような人たちにいくらニーズ調査をしても、ニーズは現れてこない。イソップ寓話に「酸っぱい葡萄」の話がある。手の届かいない葡萄を、狐が「あれはどうせ酸っぱいからいいんだ」と最初から要らなかったかのようにふるまう話である。エルンストはこれを「適応的選好形成」といった。私たちが出会う患者さんの中には、「助けて」が言えない方たちが大勢おられる。自分は大丈夫だと考え「助け」を必要としていることが分からない、「助け」があることを知らない、「助け」があると知っていても「助けてと言っていい」ことを知らない、「助け」を求めることに対して罪悪感がある、「助け」を求めた結果、人格を否定されるような目に遭い二度と助けを求めまいと決心した人、声を挙げないことで、自らの尊厳を守っている方もおられるだろう。そのような方たちに思いを巡らしてほしい。明らかに困っている状況があるのに助けを求めない、求められないというのは、医療従事者としては理解しにくい。「リテラシーが低い」で済ましてしまうこともあるかもしれないけれども、ぜひ立ち止まって考えてほしい。この「酸っぱい葡萄」のエピソードが、武田先生からの今回の最も大事なtake home messageである。
最後に、順天堂大学の基礎ゼミ体験学習の中で武田先生御自身が実践しておられる活動を御紹介して頂いた。1学年140人中毎年3-6人くらいがこの実習に参加し、同級生にSDHについて伝えるためのビデオ教材を作る課題に取り組む。NPO法人「TENOHASHI」、豊島区こどもWAKUWAKUネットワーク、寿町の「ポーラのクリニック」、さなぎの食堂など、様々なフィールドを与えられた医学生が短時間のビデオリポートで自分の思いや変化を語るのが印象的だった。
第2部 グループ討論「健康への社会的な障壁がある方々への全人的医療: 実地医家にこそできること」
このセッションは、武田先生が3分半ほどのビデオを提示され、それに対して参加者が意見を出し合うディスカッション形式で行われた。
登場人物は3年目の研修医と指導医、それに28歳男性糖尿病患者の「いちろうくん」(職業:大工)で、近くの開業医から「血糖値865、HbA1c14.8」として紹介、入院となり、研修医が担当となった。インスリンを導入し、真面目な療養態度で間もなく退院になったが、外来には受診しなかった。しかし半年後、同じ開業医から「血糖値746、HbA1c 12.8」として紹介され、再び入院になった。そしてやはり退院後外来には通院せず、半年後に3回目の入院。
ここでグループ討論を行った。まず各グループで自己紹介、そして貧困と健康に関しての各自の思いを述べ合った上で、この「いちろうくん」が通院できず何度も入院になる理由について考察して意見を交換した。御自分の勤務地域で生活保護の患者さんが多い状況を語って下さる参加者がおられた。一方、生活保護受給者には粗暴で自助努力をしない人が多く、医師になる以前からかなりひどいケースを見聞きしている、という声も聞かれた。今回の例については、通院できない背景には経済的なものや精神的なものを考えて問診を進める、という意見が多く出た。
そのあと、ビデオの続きが供覧された、指導医から身体・精神・社会モデルを提唱された主治医の研修医が、「いちろうくん」について多職種カンファレンスを開催。医師・看護師・薬剤師・管理栄養士・理学療法士・ソーシャルワーカー・精神専門看護師・医療事務が参加した。「いちろうくん」は糖尿病の母と弟2人の4人家族で、1人で家計を支えていること、収入が不安定で月収20万円程度、その中から母の薬剤費と自分の治療費も出さないといけないこと、仕事の時間が長く、母も食事を作れないので外食するしかない、お金もないし糖尿病は完治する病気でないし、治療を受ける資格がないと思っている、などの情報が得られた。
ここでまたグループ討論を行った。これらの情報からは、精神科受診、医療費の削減のための工夫(ジェネリック医薬品の導入など)、食事の工夫などについて、多職種の知恵を絞って可能なリソースを追求する方針などの意見が出された。また、医療機関によっては無料定額診療事業を行っているので、そのような医療機関と制度について知っておくことも役に立つ、ということも、武田先生から解説があった。
常連参加のベテランの先生からも「知らなかったことがいろいろ学べた」とのお声も聞かれ、日本社会に格差が広がっていると言われて久しいが、今回の話題は時宜を得たものと感じることができた。実地医家の基本として、患者背景に目を向け、そこに潜む問題を解決する努力をする、という姿勢を忘れないようにしたい。


