リレーエッセイ

#9 ほんとうのこと は 言わない?―こころに残る患者さん―

大平常元

大平常元

仙台市生れ
大平メンタルクリニック院長
NPO法人 博英舎・こころや理事長。元東北大学医学部病院精神科神経科副科長。日本欧州共通サイコセラピスト。日本サイコセラピー学会理事。日本心身医学会東北評議員。精神科専門医。精神科指導医。心療内科専門医。産業医。シェイクスピアカンパニー・スーパーバイザー ほか。

 ほんとうのこと は あるのかどうか、あるいは ほんとうのこと とは何か は別としまして、今回の大震災では、いろいろな場所で、いろいろな人々に出会いました。
 そして、いろいろな体験を聞きました。
 車で山の中で津波に追われ、山に駆け上り、水、食べ物無しで2昼夜を過ごしたというタクシーの運転手さんは、震災に遭った石巻から逃げ出し、仙台まで歩いて行くところだ、という人に出会ったので、水筒の水を少し譲って呉れないかと頼んだが、譲って呉れなかった、という話をしました。
 よく通っていた食堂のお上さんは、若い従業員に付き添われて坂道を逃げ登っていて、後ろから津波が押し寄せて来た時に、「若い人は私を置いて早く逃げなさい」と言い残し、流されて行ったと言います。
 検視をしに行った安置所で弟の亡き骸に出会った剖検医の話も聞きました。
 2人の子供と夫を亡くし、一人残されたが、夫の遺産、保険など全て夫の家族にとられてしまったという話も聞きました。
 あるいは4人の音楽家仲間で自分だけが生き残った、という話を、酒場で泣きながら、こそこそと喋っていた男の方は、耳をそばだてて聞かれることを嫌がり、怒り出し帰って行きました。
 ちょっと振り返り、思い出し、挙げて見ただけでも、災害時の沢山の死や出来事やとの出会いから、沢山の話を聞きました。
 それらをどのようにとらえ、どのように記憶し、あるいは記録しておくべきなのか。
 震災の本震後5ヶ月ほどして、40歳代半ばの女性が新患として訪ねて来て、「頭が痛い」と訴えました。
 型通りの問診のあと、もう少し詳しく、ご家族の話を、とりわけご主人の話をと、聞き始めたところ、一瞬話は途切れ、下を向き、しばらく黙っていた後に、立ち上がり、そのままお帰りになりました。呼び止めましたが、振り切るようにお帰りになったのです。
 その後何回か、連絡をし、どのようであったか、確かめようとしたのですが、「いや何もありません」という返事が返ってくるだけでした。
 立ち入って欲しくない、むしろ迷惑である、ということだったと思われます。
 私たちのこころの中には、言葉に出来ないことが沢山あることは、もちろんです。
 私は災害の後の、人々の、様々な体験についてなるべく沢山お聞きし、体験の様相、その与える意味などについて、考えて見たかったのですが、実は個人の持つ体験の深さや重さなどについて、思いを致すことは出来るのかどうか。立ち入るべきではない領域が、もちろんあるに違いありません。
 こころは、層をなして作られている。こころの襞、わだかまり、それらの作られ方は、ひとそれぞれに違っているに違いありません。あるいは体験の強さと体験の感じ方、表し方は、ひとそれぞれに違いがあると思われます。それらの仕組み、「構造」に触れられることへの不安、壊されることへの不安があるのでしょう。
 私は、例えばPTSD(外傷後ストレス障害)について述べているのです。更にはそれに対する対応としての医療の在り方、関わり方について、触れようとしているのです。
 「頭痛」を訴えて来院された女性にご主人が亡くなられていたのかどうか。お聞きすることが出来ずに終わりました。
 医療とは何か。永井先生に始まる「実地医家のための会」に参加している所以です。