リレーエッセイ

#8 右脳を使おう

今本千衣子

今本千衣子

1984年、旭川医科大学医学部医学科卒業。
その後、旭川医科大学病院第一内科、道北病院(現旭川医療センター)呼吸器科、旭川保健所、今本医院に勤務する。
1989年、医療法人社団今本内科医院副院長。2013年、医療法人社団今本内科医院院長。現在に至る。
日本内科学会認定内科医、日本プライマリ・ケア連合学会認定医・指導医、臨床心理士、禁煙専門医。

 「貴方のピアノには迷いがあるわね。どっちにするのか、もう決めないといけなくてよ」
 その日は私にとっては2度目のピアノコンクールへの挑戦の日でした。毎日新聞社主催の学生ピアノコンクールの予選演奏を終えた私は、エレベーターの中で、幼少時から長きにわたり指導を受けていた先生から、そう声をかけられました。
 その年の予選の課題曲は、ベートーベンのソナタでした。そもそも古典派の曲が苦手で、必然的に嫌いなベートーベンより、まだ予選も済んでいないのに、本選の課題曲のロマン派の曲を弾くほうが楽しくて、そちらに力が入ってしまっていました。暇さえあれば本選の曲を弾き、練習のウエイトはもっぱらそちらに置くようになっていました。いつものことながら、まるで戦略的ではありませんでした。かれこれ40年以上昔のことです。
 その盛夏7月の予選の日、色白の芸術家タイプの人達の中で、真っ黒に日焼けしていた私はその集団の中では文字通り異色の存在でした。日焼けするのは当然で、陸上部員だった私は屋外で走るのが日課でした。そのころは朝5時に起きて、登校直前までピアノレッスン。放課後はまた陸上部の活動にいそしみ、帰宅してからは、再びピアノの練習の毎日でした。
 3歳から母の勧めで始めたピアノレッスンは、音楽の楽しみという点からみれば対極のスパルタ式の厳しいものでした。私の生活はずっとレッスン第一で、生活のすべての基軸になっていました。ピアノが好きとか嫌いとか、そのようなことを考えることもありませんでした。
 『これでもし本選に進めたらピアノはやめない。でも、駄目ならプロのピアニストはきっぱりやめよう』と、心に決めました。結果は一点差の落選。“自分には秀でた芸術的才能はない”という見切りをつけられたことに、不思議なほどさばさばした気持ちでした。当時私を指導くれていた先生の落胆のほうが大きかったように思います。
 その後、色々考えて医学部に行くことに決めました。15歳の時の決断でした。
 医師になって30年がたち、自分ではあまり好きではないと思っていたはずのピアノが、実は意外にも好ましく恋しくなることが多くなってきました。
 今年、内輪のある会で、プロのバイオリニストのお嬢さんが、英国留学から帰国、お世話になった方々へ感謝の七夕ミニコンサートを開くので、その伴奏をして欲しいという依頼がありました。過去に伴奏体験はあまりにも少なく、二の足を踏みましたが、友人の頼みということで結局は断り切れませんでした。
 まず一度音合わせを、ということで、木楽倫(室内楽に適した全館木造りの音楽堂)で初めてお会いしました。彼女は実に素直で愛くるしく心優しい素敵な女性バイオリニストでした。それまでの私の漠然とした不安は雲散霧消し、知らず知らずのうちに和やかな合奏の楽しみに引き込まれていきました。ソロにはないデュオの楽しみでした。何度か音合わせやリハーサルを重ねるごとに、彼女の人柄がにじみ出る優しい演奏に、こちらが癒やされました。
 自分の日々の生活は医療、言語認識・論理的思考・情報処理、もっぱら左脳活動です。ややもすると偏った悪い脳の使い方になります。この仕事は皆様もご経験のとおり、非常にストレスの溜まる仕事です。診療に明け暮れる毎日、やりがいはありますが、頭も重く痛くなることも多いと思います。
 しかし、朝のひととき、ピアノを無心に弾いていると、それまで靄が立ちこめていたような重く痛い頭が、驚くほどすっきりすることに気がつきました。頭痛薬がほとんど要らなくなりました。この感覚はとても不思議なもので、以来、ピアノを弾くことが楽しみに変わり、演奏することでまさに右脳をうまく働かせている状態になるのではないかと思いました。
 七夕コンサートの日、私もいっぱしの黒いロングドレスを着て、タイスの瞑想曲、エルガーの愛の挨拶等を、彼女と共に愉しく演奏させて頂きました。それは滅多にない穏やかな心豊かな貴重な時間でした。
 やはり脳は左右バランスよく使ってやることが大事なのだと再認識しました。左脳右脳をバランスよく使うことは何より老化防止にもなると言われています。音楽の演奏は、楽しみつつ気持ち良く右脳を鍛える良い刺激という一石二鳥です。
 機会があれば、デュオを含め、これからも診療の傍ら演奏を続けようと思っています。